2008.04.13 (Sun)
映画「大脱走」のモデルとなった男性が死去

―Telegraph―
スティーブ・マックィーン主演の映画、「大脱走」のモデルとなった男性が、10日、木曜日に亡くなりました。シドニー・ドウズ(Sydney Dowse)、89歳でした。
スピットファイアのパイロットだったドウズが囚われの身となったのは、1941年のこと。1942年5月に移送された先の「Stalag Luft III」は、ナチスドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングの肝入りで作られた捕虜収容所で、映画のように周囲を柵で囲まれ、おもに捕虜となった連合軍のパイロットなどの収容にあてられていたといいます。
ドウズはここで単独で二度、脱走を試みましたが、失敗。「Big X(ビッグエックス)」と呼ばれたロジェ・ブッシェルの指揮下に入り、集団脱走計画に加わります。
計画では、収容所の地下から近接する森まで三本のトンネルを掘ることが提案されました。今日知られている、トムとディックにハリーです。ドウズはこのうちハリーを任されます。トンネルへの出入り口はストーブの下に設けられ、ここから一日のほとんどの時間を坑内で費やしたドウズでしたが、彼はいっぽうで収容所本部にいたドイツ軍の伍長に接近し、必要な書類を集めてもいます。また脱走の際には伍長を介し、スーツをも手に入れました。
1944年3月、トンネルは336フィート(約102メートル)まで掘り進められていたハリー一本に絞られます。あとは地上に出るための一掘りを残すのみとなった24日、いよいよ脱走計画が敢行されました。ドウズは21番目。ポーランドの友人「ダニー」クロールといっしょに脱走したドウズの計画は、ポーランドに向かい、レジスタンスの連中にかくまってもらう予定だったといいます。ところが、すんでのところで電車を逃したドウズらは線路に沿って歩く羽目に陥ります。幸い食糧は伍長から三週間分の食糧配給チケットを受けとっていました。
14日間歩き通したドウズらは、ポーランド国境まであと一歩のところでヒトラー青年隊に捕らえられます。クロールはゲシュタポに連行。脱走した73名のうち50名が銃殺されましたが、クロールもこの中のひとりとなりました。ドウズはベルリンに送致されました。
1918年11月21日、ロンドンはハマースミス生まれのドウズは、ハーストピアポイント・カレッジで学んでいましたが、1937年7月、当時新設されたばかりのRAF(イギリス空軍)予備隊に志願、週末ごとに飛行術を学び、開戦と同時に正規パイロットして訓練を受けました。
最初は対潜哨戒、輸送機の護衛とどちらかといえば目立たない任務をこなしていたドウズですが、1940年にはスピットファイアのパイロットに昇格すると、偵察が主となり、Photographic Reconnaissance Unit(PRU―写真偵察班)の一員として活躍をはじめます。囚われの身となったのは、西仏、ブルターニュのブレスト半島を巡っていたときに撃墜され、足を挫いて捕虜になったときからでした。
なお、ベルリンに送られたドウズは、その後、フランクフルトのザクセンハウゼンの収容所、通称「デス・キャンプ」に入れられましたが、ここでも110フィート(約34メートル)のトンネルをスプーンなどを使って掘り、脱走を試みていました。
大戦が終了してからは空軍大尉に昇格したドウズは、それからは順風満帆な人生だったようです。老年になってからはロールスロイスやスポーツカーを乗りまわし、人生を満喫しての往生でした。私生活では三度の結婚、しかし臨終時に妻はいなかったと伝えられています。
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