--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 | EDIT

2008.02.28 (Thu)

女教師をめぐって親友と三角関係に陥った男子学生が、恋敵の親友を殺害

80227g.jpg

南方網
さて二月最後のエントリーは、現在、中国紙で大反響を呼んでいる事件。
一人の女教師をめぐって親友と三角関係に陥った男子学生が、恋敵の親友を殺害してしまったという、どちらかといえば女性読者向きの事件でしょうか。

中国紙では、スウェーデン映画「(あこがれ美しく燃え(Lust och fägring stor―中国では『教室別恋』)や、台湾映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」にも喩えられている、青春の絶望と憔悴をそのままあらわしたようなこの事件。かなり長くなると思いますがあえて分けません。どうぞごゆるりと。



孟超は手提げ袋のなかからナイフを取り出すと、かつての親友、何小厳の背中を刺しました。「孟超…」、何はまだ信じられないといった表情で目を見ひらき、ゆっくりと孟の方に向きなおります。孟は無言で何の胸にナイフを突きたてました。足から崩れ落ち、血だまりの廊下に倒れ込む何。
2007年9月27日午後5時。場所は何の家。この日は18歳を迎えた孟超の誕生日の翌日でした。


2006年秋、当時17歳だった孟超は、貴陽六中の文科15班に編入を受けます。担任は張麗。44歳の張麗は国語を受けもち、同僚からの評によると明るく温和な性格、情熱があり面倒見のいい性格だったといいます。張麗は生徒たちからの受けもよく、親身になって悩みを聞いてくれる先生として人気がありました。
張麗のブログによると、生まれは1963年、貴州師範大学の中国語学部を卒業後、貴陽六中に赴任してから班主任(クラス担任)として15年間生徒たちを指導し、学校、そして市からも優秀な教師として表彰を受けたとあります。貴陽六中は貴州省のなかでも有名校。場所が州政府の近くということもあって、多くの役人の子女もここに通っていました。

プライベートでは、27歳に結婚、32歳で離婚を経験し、前夫との間には息子が一人。その息子は学校の寮で自活しています。その後、高校時代の男友だちと同居をはじめ、こちらとは5年を経て入籍。しかしながら新しい夫は仕事の関係で月に5日ほどしか家に帰らず、張麗は新居を構えることもなく寮に居続けました。
彼女が家庭作りというものにそれほど熱心でなかったのは、帰宅するたびの夫との諍い、ここ数年は夫が帰ってきても夫婦としての営みは全くなかったということと、夫の連れ子を義母に預けたままでずるずると時が過ぎてしまったこと、なんにしても月にわずか5日しか顔を合わせなければ、この5日のために装う気持ちがいずれ義務となり、やがては苦痛となり、後に孟超には夫をただの男友だちだと紹介したのも宜ならずといったところかもしれません。


80227h.jpg孟超(右画像―16歳時)は3歳のときに両親が離婚。以降は父に育てられました。父は公務員でその後再婚はせず、その父によると孟超は、幼い頃ぜんそくがあったが小学校を終える頃には収まり、その後は健やかに成長したとのことです。二人が親しくなっていったのは、家庭の中で充たされないものを互いに感じとった孟超と張麗ゆえのことなのかもしれません。

ある日、孟超はクラスの規律を破ったことで張麗に電話で謝ります。ここで面倒見のいい性格が災いしたのか、孟超は以後たびたび張麗に電話で相談をもちかけるようになり、電話の回数や時間も増えていくうちに、成りゆきとして二人は気持ちを通わせるようになりました。
恋に燃え上がるのは得てして年下。思春期まっただ中の少年は、恋を阻む障碍は時が解決するよりも自らの情熱で切りひらくことを望みます。その情熱に気圧されるように張麗は孟超から受けとったメールでの愛の告白に「130」と返しました。「130」はネット用語で「わたしもあなたを思う」の意味をもちます。

告白メールを打った途端、頭のなかが真っ白になったと述べる孟超は、張麗からのメールを受けとる前に寮に向かいました。顔をあわせて張麗に自分が男として認められたことに泣き出す孟超。あたしもあなたのことが好きよ。でもこれはいけないことなの。そう言いながらも張麗は顔をくしゃくしゃにして胸に飛び込んでくる張麗を受け止めました。
張麗の自宅にまで行ったのはこのときが初めてという孟超は、以来一日おき、そしてやがては毎日、補講の名目で寮に入り浸るようになります。荒々しい抱擁と幼いキスが張麗の心を惑わしました。
孟超にはそれまで彼女がいましたが、その彼女とは別れ、授業中にも愛の詩を認めるといった恋の虜で、父からもらった小遣いを髪飾りやブレスレッドにあてるといった心遣いをみせ、また張麗もペアリングを贈るなど、二人の気持ちは深まります。
こうして二人が肉体的にも結ばれたのは、孟超が張麗に告白してから二ヶ月。薫風わたる2007年5月のことでした。
当時の彼の日記にはこう記されています。
「社会、倫理、道徳は自分に彼女を諦めるよう迫っている。頭蓋を砕かれ、歯を折られ、目を抉られて屈しようか。いや、もしそれで彼女が自分を省みなくなったとて、ぼろぼろになった自分は彼女に付き従う」。
17歳の少年の心にはマグマのような情熱が宿っていました。


孟超には、仲のよい友だちがいました。同じクラスの何小厳です。模型が好きだという二人は趣味があい、そしてともに二年後には大学受験という目的を同じにし、親友と呼んでも差し支えないほどにお互いの家に行き来し、将来を語り合いました。
この何小厳は、父は国有企業のトップ。家庭にも恵まれ、貴陽六中に編入された何小厳は学校の後門に近い部屋を借りてもらい、そこから学校に通うという生活を送っていました。
家族によれば性格は大人しく、いうこともよく聞き、外で問題を起こしたことはなかったといいます。しかしながら別の証言によれば、家庭は不和で多忙な父は彼には構わず、何小厳はなにかといえば母を頼ることが多かったともいいます。
友だち付き合いも多くはなかった何小厳は、学校では編入されて最初に声をかけてきた孟超とばかり遊ぶようになりました。ところが孟超に同志としての共感を覚えた何小厳は、孟超の張麗に対する恋心が自分に対する裏切りにも思えるようになりました。しばしば教務員室を訪れてはそっと帰り、張麗と夕食をともにしているところを見いだした何小厳は、孟超を問い詰めるよりも彼との同一感から、自分も張麗の彼氏にならなけらばならないと考えたのかもしれません。

どちらかといえば年が離れていたとして相手をひっぱっていくタイプだった孟超に対し、何小厳はぐずぐずと甘えながら相手に懐いていくタイプ。成績が優秀ながらもテストの点が悪かった何小厳は、張麗の目にもとまり、やがて彼女の寮で補講を受ける間柄となります。
両親のいる自宅から何やかやと理由をつけて補講にでかける孟超とちがって、学校の近くに部屋を借りていた何小厳には時間が自由になることも有利でした。早朝6時には張麗の寮に行き、一人暮らしを案じる張麗と朝食をともにします。昼にも寮にもどった張麗を訪ね、昼休みののんびりした時間をを過ごします。

何小厳は恵まれた家庭で金銭的には不自由なく育ったためか、思い通りにならないとかんしゃくを起こす性質がありました。これが張麗との間でもいかんなく発揮されます。そしてその矛先はいずれ張麗と孟超との関係にも向けられることとなります。
何小厳に対して憎からず思う張麗との間に愛が生まれ、またそのことで自信を得た何小厳はこんなメールを送りました。
「六年だけ僕を待ってください。いまは信じてもらえないかもしれないけれど、僕はあなたに愛が永遠であることを誓います。僕はあなたと一緒に幸せになります。愛してます」。
孟超と愛を交わした張麗はこれに応えました。


何小厳が張麗の家に入り浸っていることに気づいた孟超は気が気ではありません。それとなく張麗に問い質しても、あの子にはただ勉強を教えているのと嘯く張麗。
いっぽう、この頃には張麗の自宅の合い鍵まで受けとっていた何小厳は、孟超と張麗が部屋にいっしょにいるところに押し込んで、パジャマ姿の二人を質そうとしたことがあってから、合い鍵を返すなど張麗をめぐって絵に描いたような三角関係となった二人は確執の火花を飛ばし始めました。
電話で張麗にあいつと付き合うのはやめてくれと請う孟超。何小厳は何小厳で、あいつに抱かれているあなたを思うと胸が張り裂けそうだとこぼし、発作的に包丁を掴んでは張麗の部屋で自殺を試み、売女と罵って張麗の首筋に爪を立てます。
孟超の前では恋人の証をたてる張麗でしたが、年の差ゆえ、嫉妬をあらわにすがりつく何小厳の純粋な愛の表現も愛おしく思う彼女の姿がそこにありました。

孟超は焦燥に苛まれます。父は祖父の入院先に寝泊まりすることも多く、普段はさほど孟超には構いません。この頃から孟超は自分の部屋に鍵をかけて閉じこもり、そっと持ち込んだ酒やタバコで時間を紛らわせることが多くなりました。思い立ってはメールをし、夜半にも電話をかけ、気持ちが定まらない様子で部屋のなかをうろうろと行ったり来たりしては、ときに張麗にもらったテディベアの縫いぐるみをベッドに叩きつけます。
張麗と付き合う前の孟超の彼女、韓菲はこの頃の孟超の様子を次のように語っています。
「すごく痩せて、目が血走ってて顔色も悪かったわ。感情をコントロールできないみたいで、心配して電話しても電話口で泣かれることもあって…。もともとはあんなじゃなかった。それまではバスケが好きでいつも笑顔を絶やさなかったのに、人がまるで変わったみたいだった」。

何小厳も同じでした。それまでは大人しく温和だった彼も、教務員室に出かけて帰ってくると、椅子を蹴り、机に拳を叩きつけて呪い、また口の端に蔑みの笑いを浮かべて自分の世界に閉じこもります。
電話の明細書によれば、孟超は一日に36回張麗にあててメールを打っており、また孟超と何小厳が張麗にかけた電話は連日深夜三時にまで及びました。

こうしてうだるような南方の夏を過ごした二人でしたが、孟超は9月に入って父に転校を願いでています。「崩壊寸前でした。何小厳と張麗が別れるとずっと願ってきました」。


26日、孟超は18歳の誕生日を迎えました。20人ほどのクラスの仲間たちが昼休みに集い、彼の誕生日を祝います。酒もまわされました。学友らに張麗との仲を冷やかされた孟超は、「みんな、おれが先生を好きだって言ってるけど、そんなのあり得ないよ。だって母ちゃんより年上なんだぜ」と否定します。
ところが孟超はこの席で、親しい友人にはこうも漏らしています。
「じつは、何のヤツがクラス担任と関係があるって噂がとんでる。おれもずっと我慢してんだ。あんまり焚きつけないでくれよ。ヤツを殺っちまいそうだしさ」。

午後、教室にもどってきた孟超は、いきなり何小厳の襟を掴みました。不穏なものを感じた学友たちが止めに入ります。「孟超は酔ってるんだ。勘弁な」。間にはいった学友が何に対して謝ると、何は「大丈夫だ」とひと言答えました。
その晩、張麗の家に行った孟超は、彼女から誕生日のプレゼントとしてシャツを二枚受けとりました。壁にもたれ掛かり、張麗の肩を抱く孟超はこのとき、ひさびさに安堵を感じたといいます。孟超の問いに答える張麗は、「あなたとこうしているときが幸せよ。あの子(何小厳)は、キチガイみたいにまとわりつくんだもの。でもね、もう私はあなたに決めたの。あとはあの子が私のことを諦めてくれるまでもうちょっと待ってね。そしたら後はずっと二人きりよ」。
孟超はその日、夜遅く自宅に帰ってなかなか寝つけなかったと述べています。

翌日の昼、張麗はいつものように自宅に来た何小厳と昼食をともにしました。そこで諍いが起きたのです。孟超に電話をかけてきた張麗の話では、「(何小厳が)また合い鍵を寄こせって言うの。私とあなたが逢うところを見るんだって。で、あなたのことを姦夫だって言うのよ。私のことも売女だって」。
孟超の心にこの半年間のくすぶりが一気に噴き出しました。「大丈夫だ。ヤツに二度とそんなこと言わせない」。

孟超は午後の授業が終わるのを待って自宅に戻ると、腹ごしらえをし、近くの用品店でTシャツを買って身につけ、一ヶ月前に買った刃渡り30センチのナイフを手提げ袋に入れてタクシーで何小厳の家に向かいました。何小厳は部屋に一人でいます。このとき同僚の家でおしゃべりしていた張麗は、何小厳から孟超が今、家にきたと短い電話を受けとっています。
最初に口火をきったのは部屋にあがった孟超でした。おれのことを姦夫だって言ったって? で、先生のことも売女だって? 二人のことをテレビや新聞でバラすとも言ったんだって?ばかやろう、いったいどういうことだよ。

詰め寄る孟超に身を翻した何小厳は足をすこしもつれさせました。手提げ袋のなかからナイフを取り出した孟超は、その隙に、何小厳の背中に力任せにナイフを突きたてます。
「孟超…」、何小厳はまだ信じられないといった表情で目を見ひらき、ゆっくりと孟超の方に向きなおりました。孟超は無言で何小厳を見やると、その胸にナイフを三度突き刺しました。足から崩れ落ち、血だまりの廊下に倒れ込む何小厳。2007年9月27日午後5時のことでした。

最初は犯行を否定していた孟超ですが、29日におこなわれた何小厳の葬儀の後、張麗と一夜をともにし、翌30日に揃って登校。授業を終えた後に待っていた警官らによって同行を求められました。
正式な逮捕は11月1日。先の22日、貴陽中級法院により孟超は故意殺人罪の容疑で告発を受けています。



リンク先の騰訊網だけでも、わずか半日で5万を超えるコメントが寄せられています。その大部分は張麗は教師に能わずというもの。しかし許されるなら若い愛ゆえの悲劇ともとれましょう。ここまでお読みいただいた方には感謝します。構成しながら一気に訳しましたので読みにくいところも多々あるかもしれません。お許しを。

Tags : 女教師 | 貴州省 | 中国 |

Weird News | EDIT


 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。