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2007.07.01 (Sun)

収入は1日55円。下肢を失った男性と困窮する生活(1)

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―網易―
河南省洛陽市北盟路。朝から真夏の日差しが照りつけようと、冬にみぞれが冷たい路面を叩こうと、家から百十メートルの道のりを両手だけで体を支え、十分ほどかけて仕事場に向かう路建新さんの姿がみえない日はありません。

車道を横切り、石段ふたつを力をこめた両腕で踏んばって乗り越えるとそこが路さんの仕事場です。雨露しのぎと飲み水の便に公衆便所の軒先を借り、スレートの日除けだけを掲げた露店。
毎朝七時前には店をあけます。通勤途上の人々が道を行き交いますが、路さんに注意を払う人はいません。傍らに何本かの空気入れが置いてあることに気づかなければ、そこが自転車のパンク修理の店だということもわからないかもしれません。
路さんはここで12年間働いてきました。

路さんが下半身を失ったのは、1985年、25歳のときです。当時、洛陽市の化学工場に勤めていた路さんはスポーツが好きで、暇を見つけては後輩とサッカーに興じる好青年でした。
ところがとつぜんの事故。工場でおこった火災は路さんの下肢を奪い、また職をも奪いました。見舞金で入院、下半身を失った現実をつきつけられて、絶望のなかでのリハビリは三年間におよんだといいます。自殺という言葉が何度も心を過ぎった路さんを支えたのは、病院で知り合った妻でした。
路さんよりも11歳若く、当時まだ二十歳そこそこだった彼女は結婚してからは倹約につとめ、路さんといっしょになった十数年で自分の着るものに400元かけたかどうか。妻には頭があがらないと路さんは言います。
二人のあいだには、今年15歳になる息子と4歳になる双子が生まれました。妻はこの双子の子育てに掛かりきりとなり、外に働きに出ることはできません。生活に困窮し、子供たちには服を買ってやれず、夕餉のおかずは菜ばかりになったそうです。

人通りはあるものの、滅多に路さんの店に客は訪れません。路さんは底がまるくなった「腰掛け」に座し、腹をくくった縄で体を固定し、両袖においた小さな台の上に両手を置いて、じっと客が訪れるのを待ちます。
ときおり訪れるのは空気入れを借りる手合い。無料にしていることもあってか乱暴に扱われ、こちらもしょっちゅう「修理」が必要とか。自転車や単車の修理はほとんど独学でおぼえました。しかしパンクしたタイヤの傷をひろい、紙ヤスリをかけ、糊を塗ってパッチをあてるという作業そのものは時間がかかります。それでも常連の客には仕事がていねいだと評判です。取材した日は客が二人訪れ、夕六時に店を閉めるまで、路さんは3.7元(約55円)稼ぎました。

取材を終えた記者は路さんに腕をぐいと掴まれました。灼けた顔に汗で砂埃がひっつき、すこし昏くなった空には路さんの眼だけが際だっています。
「いまの科学なら、私たちのような障害者でも義手や義足をつかって、普通の人となんら変わらない人生を送れるって知ってるんだ。そうすればこの台座だっておさらばできる。でも、金がないんだ。どんなにかいいだろうって夢みることしかできないんだ」

世の中の進歩が社会の底辺にまで訪れるのは、いつでもいちばん最後です。


事故で下半身を失った男性とその家族が考える「愛」

Tags : 半裁人 | 手足・指の疾患 | 河南省 |

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