2007.01.20 (Sat)
悲惨な生活を送る中国南方の娼婦たち(3)
朱は南方を離れる決意をしたようです。 帰郷する最後の日、趙さんを連れ出した朱は、最後にいちばんきれいな写真を撮ってくれるよう頼みました。
薄曇りの空のもと、サングラスを外そうとしない朱に、君らしくないと趙さんが言うと、彼女はこう叫んだそうです。
「私らしくない? 私っていったいどうだったっていうの? 地の底の底まで落ちぶれた女にいったい何が残ってるっていうの。 ここでは男たちに、人として扱われてこなかったのよ。 毎日毎日壊され続けてきたのよ」
朱は市内にもどり、趙さんが再度会ったときには、トラックの運転手と恋仲だったといいます。 彼女の30歳の誕生日に同席した趙さんは、中華まんじゅうほどもある大きな餃子をふるまわれました。 酒に酔った趙さんは帰り道、丘に登り、ネオン煌めく市街の様子を見ながら、その闇の部分に人の暮らしがあるのだと、知れぬ痛みがあるのだとあらためて思ったそうです。
2000年の春、趙さんは朱からの忍び泣きの電話で、彼氏が交通事故で亡くなったことを知りました。
1998年、趙さんは朱をカメラで追いながら、阿薇という娘と出会いました。 女優と見紛うほどに目鼻立ちの整った阿薇は、両親が離婚、彼女を躾ける者ははなく市内のローラースケート場で知り合った男とともに南方についていってしまったそうです。
男は28歳。 窃盗や詐欺などでしのいでいる男で、仲間が4人。 南方に連れていかれた阿薇は、体を売ることを求められ、多い日には13人もの客の相手をしては、この4人の男たちの生活費を稼がされていました。 趙さんと出会ったときには妊娠していましたが、
堕ろすのも延び延びになり、産科では、15日仕事ができないとすると、と指折り勘定をするような最低の男たち。 ただ彼女の場合は底の底まで搾取されながらもまだ幸せでした。 行方を知った彼女の親戚が、歌舞団で役者にならないかと持ちかけてきたそうです。
後になって趙さんは彼女の名を一度だけ、新聞記事で見かけました。 それは、殺人未遂の犯人と同行して逃亡しているという記事で、以後杳として行方は知れないそうです。
窮してのちの10年間、南方にとどまって娼婦たちの本当の姿を撮り続けた趙さんは、北京にて写真をまとめ、「她們(彼女たち)という本を出版しました。 趙さんは本のあと書きでこう述べています。
「それぞれの物語のなかで、読者は、「彼女たち」 の強靱な生命力を見ることでしょう。 ひとつ状況の極みにあって、彼女らに涙に明け暮れるという選択はありません。 必ず巡ってくる明日という日に精いっぱい命をつないでいるのです」
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