2007.01.20 (Sat)

悲惨な生活を送る中国南方の娼婦たち(2)

1993年、世の中は好況に転じ、娼婦たちの暮らしも華やかになってきました。 趙さんは、街のとあるヘアーサロンの入り口でぼんやりと佇む朱に引きつけられました。 笑みを繕うこともなく、表情の奥にどんよりと堆積した疲弊。 なにげなく言葉を交わす日が続いたある日、とつぜん朱は襟元から財布を取り出すと、なかから娘の写真を取りだして趙さんに見せ、私と所帯をもつ気はないかいと訊いてきたそうです。

朱の故郷は豎と同じく四川省の農村。 7歳のときに母親を亡くし、母方の祖父に育てられました。 19歳のときに市内に出て家政婦をしながら暮らしているうちに、一人の男性を好きになり、同居。
結婚届けは出さず、一年の後に娘が授かりました。
中古の三輪車を買って仕事に精出す夫と、貧しいながらも幸せな毎日。 ところが年の瀬も押しつまった1992年12月22日にとんでもない不幸が訪れたのです。 脱獄した囚人に車を奪われた夫が男ともみ合っているうちに刺されて死亡。 一夜のうちに乳飲み子を抱えて寡婦となった朱でしたが、結婚したことも知らせてない彼女に帰省する勇気はありませんでした。 朱がふらふらとあてどもなく足を向けたのは、南方下海でした。
まずはホステス稼業。 ところが学問もなく客に愛想ひとつ言えない朱は、この街ではヘアーサロン以外に落ち着くところはありません。 そしてヘアーサロンの仕事とて、ただ客と寝ればいいというものではなく、洗髪から按摩まで客をとるにはそれなりの技術が要求されるのです。
娘はあたしがしっかり育てるからね。 夫の墓の前で誓った言葉が、金がなくて碑を建てられず、一枚の板に亡き夫の名を刻んだだけの墓の前で誓った言葉の手前、伯母に預けた娘の養育費、毎月300元だけは何としても稼がねばなりません。

趙さんは朱を知ってから二年目の春節、いっしょに彼女の故郷を訪れることに決めました。
彼女が育ったという伯父の家の彼女の部屋。 そこは土間でした。
家財道具はほとんどなく、壁には1995年のカレンダーがひとつ留めてあるだけ。 あまりに貧しい村の暮らしぶりに趙さんは愕然としたといいます。 この村で生まれた娘たちは、南方に行くことは決して珍しいことではありません。 たとえ体を売ってでも幾ばくかの金を手に入れた女たちが錦を飾れるこの村では、モラルや尊厳などといったきれい事は意をなさないのです。 しかし朱はそれからも落伍したのです。 彼女の心のなかにいまだ宿っている純なもののために。

近年、中国の田舎の崩壊、とくに人々の心のうちに芽生える倫理や道徳心などの崩壊、欠如は目にあまるものがあります。 過疎化が進み、生産性の落ちた村では、人心が荒れはて、帰属意識さえも少なくなってきているのです。
それでもこのような村に生まれ育った彼女らは、老いて帰るときのために自分の部屋を残しておきます。 その多くは家畜もかくやと思われるほどの狭く暗い土間です。


悲惨な生活を送る中国南方の娼婦たち(1)

Tags : 中国、台湾の風俗、売春 |

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