2006.12.06 (Wed)

ティナ・スモール物語(20)

click!それからの数日、私は与えられた日課を毎日同じようにこなしました。 朝食を終えたら馬房の掃除、寝ワラの取り替え、お茶がはいってお昼までは鞍洗いといった案配です。 仕事の間にアルサバの様子を見にいく癖がついた私は、角砂糖をそっとポケットに忍ばせては、たびたび馬房に足を向けました。
アルサバはといえば掌の角砂糖を舐めはするものの、あいかわらず首を垂れ、目は虚ろ、まるで立っているのが精一杯という状態でした。 ところが何日か経つうち、ふとアルサバが柵の上から顔を突きだし、私のポケットを鼻面で探ろうとしたのです。 これに力を得た私は、アルサバにこう話しかけました。
「いい? これから二人だけの時には、あなたのことをデリックって呼ぶわ。 昔ね、デリックという馬がウチにいたの。(デリックはティナが4歳の頃、家にあった木馬の名前。 「ティナ・スモール物語」 参照)」 アルサバの耳がピシッと唸りました。

その日の午後、私はバートさんにアルサバがどんな馬なのか、もう一度訊ねてみました。 バートさんは不審そうな表情で私の顔を覗き込みます。
「ん? どうしたんだね? あれに乗ってみたいのかい?」
心を決めた私は、ゆっくりと頷きました。
「そうだなあ。 あんたは乗馬経験はほとんどないようだが、しかしダメという理由も見つからんでな。 どうだ、やってみるか? サイモンとロニーをヘルプに付けよう」
私はさっそく馬房に飛んでいき、デリックを馬場に連れ出しました。 引き綱をひいて馬場に馴れさせると、サイモンさんとロニーさんに手伝ってもらい、鞍に跨って手綱をとります。 馬場を数周するうちにデリックの歩みが自然に早まり、ウォークからトロットへと、それも不慣れな私を気遣うように駈けるのが背中越しに伝わってくるのです。 いったん厩舎の前でスピードを緩めたデリックは、鼻息を鳴らしながら首を振り、これまでに見たこともなかった生き生きとした瞳で鞍上の私を見上げました。 その瞳の底知れぬ深さ。 雄々しく天を仰いだデリックは私を乗せたまま、キャンターで馬場をまわります。 夏の午後の日差しは甦ったデリックを祝福するかのように輝き、草いきれにつむじ風が巻き起こって虫たちが右往左往するさままで見えるようです。
いつの間にか厩舎で働く仲間がみな集まり、柵越しに私とデリックを見ていることに気づきました。 みな微笑んでいました。

最後に馬場をひと回りしてデリックから下りると、バートさんが迎えにきてくれました。
「いやあ、驚いたね。 いったいどんな魔法を使ったんだい、ティナ? 実際、あんたも知ってのことと思うが、われわれがあらゆる手を尽くしてもどうにもならなかった馬なんだ。 あんたのお陰でまた輝ける日がとり戻せそうだ。 しかし不思議だ」
そう言うとバートさんは私の胸を一瞥し、こうも言いました。
「おほん。 その、キミは、言うなればオトコを奮い立たせる素養があるのかもしれないな。 きっとアルサバはあなたほどのご婦人を乗せたことがなく面食らったんだろう。 まあ、いずれにしても彼を甦らせたのはあんただ」
バートさんは快活に笑いながらデリックの引き綱をとり、もう片方の手で私の肩に手をまわすと言いました。
「わかった、ティナ。 今からキミをこの馬の専属トレーナーに認定しよう。 アルサバに毎日乗ってほしいんだ。 だんだんと馴れてきたら、ウッドチップのコースから坂道へと乗りだしてくれてもいい。 こうなった以上、馬主さんには最上の状態で見てもらいたいんだ。 三週後にはイングランドに戻ってくる。 きっと大喜びさ。 さ、とりあえず今日のところは鞍を外してやってくれ。 お疲れさん」


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