2006.09.24 (Sun)
ティナ・スモール物語(15)
その週の木曜日には、私はチチェスターの駅を出てタクシーを待っていました。母は、私がそんなに遠くにでも働く場所を見つけたこと、そして仕事そのものに魅力を感じて選んだことを褒めてくれました。 「自分に合うと思ったことを続けなさい。 お母さんは応援するわよ」。
タクシーに乗った私は、一時間後には厩舎の事務所の扉を叩いていました。 場所はサウスダウンズにある小さな村です。 真夏の炎天ということで選んだ服はジーンズにTシャツというラフなスタイル。 それでも暑いくらいでした。
「どうぞ」、事務所のなかから返事が聞こえました。 私は扉をあけると、これから厄介になる事務所のなかをひとわたり見まわしました。 壁は一面馬の写真で覆い尽くされ、また一面にはロゼット(花型の飾りリボン)や鞭、拍車といった馬具の数々が並んでいるといった具合です。 中央に大きな机があり、布製の帽子をかぶった男性が手を伸ばして私に椅子をすすめてくれました。
「バート・スミスです」。 男性は私を見て立ち上がると、軽く足を引きずりながら机の横にまわって、そこに腰掛けました。 体をひねって机の上から書類を引っぱりだすと、その上に大きく二本線を引き、顔を上げてこう私に問いかけました。
「クリスティナ・スモールさん。 それでウチで働きたいっていうのはあんたかね?」
「はい、そうです」
「ふむ、よろしい。 私のことはバートと呼んでくれればいい。 アルバートを短くしたものだ。 仕事は調教師とよばれるものだ。 馬の面倒を見、馬に乗って一年が過ぎていく。 はっきり言って仕事は楽じゃない。 賃金は安い。 だが着るものと食い物の心配だけはしなくて済む。 馬が好きでなけりゃ勤まらん仕事だ。 なにか質問は?」
「ありません。 仕事は承知の上です」
「ほう、わかった、それならよい。 来てくれてうれしいよ、クリスティーナさん」 バートさんはこう言うと、にっこり笑いました。
「ときに、鞭で背中を打たれることはどう思うかね?」
この質問に私は息を呑みました。 この人はいったい何を言おうとしているの?
「あの…、私はそういうのは絶対にイヤです」
「いや、君は打たれることはないと思うが、もし万が一、ウチの厩務員たちが馬を虐待しているのを見かけたら、私は遠慮なく鞭で打つ。 それだけは理解していてもらいたい」
「わかりました」 思わず声が上ずった私は、こう答えるのが精一杯でした。
バートさんは快活に笑うと再び椅子にもどりました。 そして悪戯っぽい表情を浮かると、節の目立った指で私の胸を指し、こうも訊いてきました。
「失礼なことを訊くがね。 そんな大きな胸をかかえてどうやって鞍に上がるつもりかね」
厳しい問いかけのなかにも、もし、その目の奥にバートさんの優しさを読み取れなかったなら、私はすぐにも事務所を飛びだしていたことでしょう。 私は自分の胸を見下ろし、肩をすくめてこう答えたものです。
「どうしましょ。 …そうね、ひとつ方法がないでもないわ。 まず馬の横に立って片方の胸を鞍に放り投げるの。 で、掛かったら、もう片方の胸を抱いて跳び乗るわ」
バートさんは顔をくしゃくしゃにして笑いました。 私は勝ったのです。
「今日からよろしくだ。 クリスティーナさん」
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