2006.05.07 (Sun)

ティナ・スモール物語(2)

60506k.jpgこの事故のあと、まもなく父は私たちの前から姿を消しました。 母は私には父が去ってしまったことを隠しておきたいようでした。 今でも思い出すのは、私が父の行方を訊ねた時、目のまわりを腫らして告げた母の言葉です。
お友だちのところに行ったのよ。 子供心にもそれ以上訊くのははばかれるような表情をした母は、少し疲れているようにも見えました。
私が七歳になった時、クラスメートに父の行方を訊かれたことがあります。 その時私もあの時の母と同じように、お友だちのところに行ってるのと答えたことを覚えています。

父がいなくなってからの母は孤独でした。 大きな柱を欠いてぽっかりと穴のあいてしまった家には、空気が哀しく澱んだまま二人を覆っていました。 私にとってひとつだけ慰めとなったのは、母が夫婦で使っていたダブルベッドに潜り込むことを許してくれたことです。 朝起きて母の寝床に行き、やさしい腕に抱えられて微睡むとき、私はこのうえない安らぎを感じました。

六歳の夏、私は一ヶ月間祖母の家に預けられました。 祖父母はハンプシャー州の駅のそばに住んでいて、二匹の犬と猫、それにウサギを飼っていました。 この地で私は初めての恋をしました。
お相手となったのはピーター・ジェイムズ・アラン・スペンサーという名の同じく六歳の男の子。 彼は獣医の息子で、頼れる腕白坊やでした。 私たちはよく彼の家の裏庭に駐めてあったオートバイや車の陰に隠れて鬼ごっこをしたり、ロックされてない車のなかに入り込み、運転する真似や深々とシートにもたれかかったりして遊んだものです。

一度こんなことがありました。 ある日、家の近くのガソリンスタンドから5ポンド札を盗んだ彼が、私を町に買い物に連れて行ってくれたのです。
1965年の5ポンドといえばちょっとした大金で、私たちは 「豪遊」 を楽しみました。 抱えきれないほどの玩具、それにお菓子。 その日は上機嫌だった私たちを捜しにきた祖母に連れられて大人しく家に戻ったのですが、翌日書類をたくさん抱えた背の高いお巡りさんと母がやって来て詰問され、名前を訊かれた時にはこれから刑務所に送られるのだと思い、涙をぽろぽろ流したことを覚えています。
罰は鞭でした。 私たち二人は犬のリードでお尻をさんざん叩かれました。 私は母に連れられサマセットに帰ることになり、淡い初恋は終わりを告げたのです。

双子の姉妹、デビーの 「失踪」、そして父の 「お友だちのところにいったまま帰ってこない」 事件のあと、私は人付き合いに関して臆病になっていたのだと思います。 それでもその後は縫いぐるみのジェフリーを相手に魔法や妖精の住み処を訊ねたり、ひとり遊びで時を過ごしながら大過なく、やがて小学校に入学するまでになりました。
小学校は生徒数が150名ほど。 小さな村の小学校です。 私は読み書きが好きな子供で、一度などはクラスでキリストの降誕劇をやることになり、私は処女マリアの役を演じました。
もちろんこの頃の私の体はごくごく普通で、数年後に訪れ、以来ずっと私を悩ませてきた体の変化も微塵だに感じていませんでした。


ティナ・スモール物語 / ティナ・スモール物語(3)

テーマ : 海外こぼれ話 - ジャンル : ニュース

addclips  | boob celebrities | TB(0) | EDIT  

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://chiquita.blog17.fc2.com/tb.php/1395-0ebfff31
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME |