2007.05.14(Mon)
ティナ・スモール物語(24)
約束の木曜日。その日は朝からどれほど時のたつのが待ち遠しかったことでしょう。昼食を終えた私は、りビングと自分の部屋を何度となく行ったり来たり。服とお化粧のチェックに余念がありませんでした。
窓から射し込む陽の光は、日頃の馬の世話で灼けたなかにも上気した頬を映し出します。
ブルーのメルセデスが到着したのは3時1分前でした。運転手はイギリス人です。彼はすべて心得ているという表情で車のドアをあけ、私を後部座席に招きいれました。
メルセデスは、田舎道を走っていることを忘れさせるほどスムーズに、ウォージングの方向に向かいます。30分ほどたってからようやく運転手にものを訊ねられるほどまで落ち着いた私は、あとどのぐらいで着くの?と訊きました。「もうまもなくですよ、お嬢さん」。まもなく重たげに葉を繁らせた木が道に覆い被さるなか、行く手におおきな邸が映ります。アルサバの馬主、ズリフィカールさんの邸でした。
メルセデスは邸の中庭で停まりました。ズリフィカールさんがにこやかな表情で近づいてきます。運転手がドアを開け、中庭に降り立った私はしばし邸に見とれました。
佇まいはフラットな長方形に窓が九つついているといったつくり。中庭にはよく手入れされた芝があり、ペアの孔雀が放し飼いにされています。家の右手にはこちらからみると迷路にも似たバラ園があり、そこからただよう芳香があたりの空気を甘美に染め上げ、それでいてどこからともなく響く小滝の音が清涼さを添えているといった感じ。
「ようこそ、クリスティーナさん」。快活な声が響きました。
「どうです? 気に入っていただけましたか? 私はこの緑の美しさでイングランドを愛しているんですよ。私の故郷といえばどこまでも続く赤茶けた砂漠にたまのオアシス、この国に舞い戻って自宅にもどるとき、丘が一面の緑で覆われているのをみて、まさに天国に紛れ込んだような錯覚におちいることさえあります。どうです? 満更ではないでしょう?」
「ええ、素敵過ぎて言葉もありませんわ」
「まずはお茶をいっぱいどうぞ。それにあなたにぜひ会っていただきたい、私の大切な友人たちがいます」
玄関からホールに通された私は、艶やかに磨かれたフローリングに反響する靴音を楽しんでいました。ところどころに置かれた美しい文様のラグがアクセントとなり、壁際には絵画や東洋の磁器などがなにげなく置かれています。「富裕」というものの正体を目の当たりにした私は、気も失わんばかりでした。
ティナ・スモール物語(23) / ティナ・スモール物語(25)
2007.03.21(Wed)
ティナ・スモール物語(23)
突然ドアをノックする音が響きました。続いて幾分間の抜けたアイルランド訛りの声が聞こえてきます。「二人とも、お取り込み中かい? そろそろ夜が明けるよ」
マイケルさんです。私たちは向き合い、咄嗟にお互いの口に手をかざして笑いをこらえます。ロウェーナは笑い出しそうになるのを肩を震わせて耐えていました。
「いまね、ロウェーナがすっごく可笑しい話を聞かせてくれたとこよ」
「そうかい。じゃあロウェーナにもう戻るよう言ってくれ。で、後でおれにもその話、聞かせてくれよな」
階段を下りる音が聞こえてきました。私たちは急いで上着をつっかけると息を整えて部屋を出、リビングに向かいました。明るくなった空に照らし出されたロウェーナの表情は、なにか懐かしいものに変わりつつありました。二人の友情のはじまりでした。
デリックのオーナー、モハメド・ズリフィカールさんが厩舎に立ち寄ったのは、ちょうどそんな頃でした。大きなアメ車を厩舎に横付けして訪れたズリフィカールさんをバートさんが出迎えます。デリックの馬房をひとまわり案内した後に、バートさんがいろいろと説明しているようです。
ズリフィカールさんの装いといえば、格式ある英国調。トラディショナルなネクタイを締め、シルクのシャツを身にまとい、肌の色を除けば完璧なまでの英国紳士でした。
ちょうど洗い終えた勒を干したところで、バートさんとふと目が合いました。
「クリスティーナ! ちょっと来てくれ。紹介しよう。アルサバのオーナー、ズリフィカールさんだ」
服を軽く手ではらった私は、二人のもとに走り寄りました。ズリフィカールさんは完璧な英語でこう話しかけてきました。
「初めまして、クリスティーナさん。今、バートさんから聞いたんだが、君がアルサバの面倒をみてくれたそうだね。それもどうやら君ならではの奇跡だったと聞く。まずは感謝したい、ありがとう」
「いえ、素晴らしかったのはアルサバのほうですわ」
「はは。確かに素質はあるんだがこれが気まぐれでね。友人を選ぶっていうのか、神経質なところが玉に瑕だったかな。いずれにしても、君がアルサバの数少ない親友のひとりとして認められたということだ。いつか家に来てくれないか? 私が飼っている他の動物たちもお目に掛けたい」
「お申し出、うれしく給わります」
半信半疑でしたが、ズリフィカールさんはバートさんに私の仕事の都合を訊くと、その場で二日後に私を車で迎えにくるということに話が決まりました。このときの私といえば、急な展開になかば夢見心地でした。無理もありません。今でいうならセレブの邸宅に、それまでそうした世界に全くといっていいほど縁のなかった15歳の村娘が招かれたのですから。
ティナ・スモール物語(22) / ティナ・スモール物語(24)
2007.02.24(Sat)
ティナ・スモール物語(22)
「う、うん。 でも私は経験ないの。 一度だけ、うちの兄が彼女を部屋に連れてきたときに、何だかそれらしきものをやってたかな」「ふうん。 それ聞いてたんだ。 どんな感じだった?」 と私。
「そんなこと言えないわ」
「そこまで喋っといて、それはないなー」
ロウェーナの頬は薄く染まり、目はキラキラと輝いていました。 それを見て笑う私に、今度は彼女のほうから攻撃をしかけてきます。
「あんたはどうなのよ。 これまでにファックの経験は?」
訊いてきた途端、ロウェーナは笑い転げました。 質問の意はともかく、大胆にもファックと口走ってしまったことに対して可笑しかったのかもしれません。 二人ともまだそれほどまでにうら若き乙女だったのですから。
答を探しながら私も頬が熱くなるのを感じます。
「私もまだ」
「そうかしら? モテたと思うわよ」
「ううん。 ここに来る前は女子校だったの。 それに私の生まれた村では同い年の男の子がいなくって。 ああ、そう、格好のいい男の子って意味でね。 一度だけ、顔中ニキビだらけ、髪は脂だらけの男の子に追いかけられたことがあるわ。 それもアレ…を出しながらよ」
「お、ちんちん、のことね?」。 ロウェーナはすっかりくつろいだ様子でした。 調子にのった彼女はこう訊ねます。
「私ね、いままであなたほど大きな、その…、もった女の人を見たことがないわ」
「おっぱいのことね」。 今度は私が出し抜きました。
「そう。 あなたの胸をさわってみたいって男の子は、いっぱいいたと思うの」
「いたわ、一人だけ。 スクールバスでさわられて、頭にきたからコンパスで背中、刺しちゃった」
彼女は笑いました。 その表情はやがて幾分憂いを帯びたものに変わっていきます。
「私ももっと大きかったらなって思うわ」。 ロウェーナはそう言って自分の薄い胸を見下ろしました。
「でもね、見ての通り、楽じゃないわよ。 代われるもんじゃないわ。 この胸のせいで、12の頃から仰向けに寝たことがないの。 もちろん横向きにもね。 走るのだって億劫で、遅刻しそうになったってバスを追いかけることもできなかったわ」
「わかるわ。 今まであなたほど大きい人、見たことないもん」
「見てみる?」。 私が訊くと彼女は大きく首を振って頷きました。
「うん! 私のも見る?」
私は立ち上がって上着を脱ぎはじめました。 下はノーブラです。 ブラを着けているとリラックスできない私は、夕方にはいつも外していたのです。
上半身裸になった女二人が向き合います。 ロウェーナを見ると痩せた胸はまるで少年のようで、その真ん中に、喩えるならば葉巻の吸い口のような大きな乳首がそなわっていました。 彼女の顔はやや火照り、その表情はおどろきに包まれていました。
「…なんか、言葉が出ないわね。 世界七不思議の次、八番目か九番目あたりの不思議ね。 乳首なんてまるで空飛ぶ円盤じゃない?」
互いの胸におそるおそる手を触れ、躁的な笑いが長く部屋を充たします。 ふと彼女の瞳に目をやった私は、その瞳に決して笑いのせいばかりではない、潤みがあることに気づきました。
ティナ・スモール物語(21) / ティナ・スモール物語(23)
2007.02.21(Wed)
ティナ・スモール物語(21)
バートさんからデリックを任されたことは、毎日の仕事に張りを与え、また私自身も厩舎での生活に、次第に居心地のよさを感じるようになりました。まるで生まれて初めて動物に接したように甲斐甲斐しく世話をし、目の前にひろがる大草原をともに駆け抜ける歓びが、サウスダウンズの丘に降り注ぐ太陽のように私を包みこみます。
デリックは、その愛すべきキャラのほかにいろいろな表情を私に見せてくれました。 誇り高く知的で、それでいて優しく。 ユーモアのセンスさえありました。 私はよくワラの山のうえに落とされたものです。 そんなとき、デリックはまるで、してやったりといわんばかりに笑っているようでした。
草原から海岸へと足を伸ばし、何マイルも何マイルも歩いた私たち。 天候に恵まれ、雄大な草原がどこまでも続いて見える日は、私はよくデリックの手綱をといて放してやったものです。 デリックは、名前を呼ぶとすぐに私のもとに飛んできました。 まるで私たちは親友のようでした。
デリックと過ごす時間の他は、けっこうな重労働でしたけれど、充分に耐えられるほどのものでした。 だんだんと皆のなかに溶け込んでいくうち、ロウェーナとも話す機会が増えました。
こんなことがありました。
その日夕食を終えた私は、自分の部屋で仏教本を読んでいました。 釈迦の生涯についてつづったもので、釈迦族(ゴータマ)の王子として生まれた釈迦は、彼を溺愛する父親のもと、何不自由なく育てられたのだそうです。 しかし、そのことが彼を外界から孤立させ、ために彼自身苦悩することとなります。 当時インドは混乱と争いのなかにあり、無常を感じた彼は若くして出家の決意をします。 そこまで読んだところで、ふとドアをノックする音が聞こえました。
「どうぞ」。 ロウェーナがドアにこつこつと頭を打ちつけながら入ってきました。
「ああっと、読書中? お邪魔だったかしら?」
「ううん、大丈夫。 時間ならいくらでもあるし」
「なに読んでるの?」
私は彼女に本を差し出しました。 タイトルを目で追った彼女は、いくぶんシリアスな表情で私にこう訊ねます。
「あなたって仏教徒だったの?」
「ううん、そういうワケじゃないけど、他の宗教にも興味があるの」
「神を信じる?」
「それはね。 ものごとにはすべて因果関係があって、その関係がある種の法則性をもっているということは感じるわ。 だから神は存在するんだと思う」
ふたりの話は、音楽から人種問題、自然界から雪のひとひらについてまでひろがりました。 ロウェーナは知的で、思った以上によき話し相手でした。 それは以前にもときおり見せてくれた、彼女の筆になるカリカチュアからも感じていました。 私は、以前公園で語らった中国の老人(ティナ・スモール物語(7)参照)のことも彼女に話しました。
いつしかとっぷりと更けた夜が、喋り明かす女ふたりにあやかしの兆しを運びこみます。 言葉の代わりにハミング、それが合図でした。
「ね…、その…、最後までいったことある?」 ロウェーナが訊ねます。
「エッチのことね?」 私が訊くと彼女は顔を赤らめました。
ティナ・スモール物語(20) / ティナ・スモール物語(22)
2006.12.06(Wed)
ティナ・スモール物語(20)
それからの数日、私は与えられた日課を毎日同じようにこなしました。 朝食を終えたら馬房の掃除、寝ワラの取り替え、お茶がはいってお昼までは鞍洗いといった案配です。 仕事の間にアルサバの様子を見にいく癖がついた私は、角砂糖をそっとポケットに忍ばせては、たびたび馬房に足を向けました。アルサバはといえば掌の角砂糖を舐めはするものの、あいかわらず首を垂れ、目は虚ろ、まるで立っているのが精一杯という状態でした。 ところが何日か経つうち、ふとアルサバが柵の上から顔を突きだし、私のポケットを鼻面で探ろうとしたのです。 これに力を得た私は、アルサバにこう話しかけました。
「いい? これから二人だけの時には、あなたのことをデリックって呼ぶわ。 昔ね、デリックという馬がウチにいたの。(デリックはティナが4歳の頃、家にあった木馬の名前。 「ティナ・スモール物語」 参照)」 アルサバの耳がピシッと唸りました。
その日の午後、私はバートさんにアルサバがどんな馬なのか、もう一度訊ねてみました。 バートさんは不審そうな表情で私の顔を覗き込みます。
「ん? どうしたんだね? あれに乗ってみたいのかい?」
心を決めた私は、ゆっくりと頷きました。
「そうだなあ。 あんたは乗馬経験はほとんどないようだが、しかしダメという理由も見つからんでな。 どうだ、やってみるか? サイモンとロニーをヘルプに付けよう」
私はさっそく馬房に飛んでいき、デリックを馬場に連れ出しました。 引き綱をひいて馬場に馴れさせると、サイモンさんとロニーさんに手伝ってもらい、鞍に跨って手綱をとります。 馬場を数周するうちにデリックの歩みが自然に早まり、ウォークからトロットへと、それも不慣れな私を気遣うように駈けるのが背中越しに伝わってくるのです。 いったん厩舎の前でスピードを緩めたデリックは、鼻息を鳴らしながら首を振り、これまでに見たこともなかった生き生きとした瞳で鞍上の私を見上げました。 その瞳の底知れぬ深さ。 雄々しく天を仰いだデリックは私を乗せたまま、キャンターで馬場をまわります。 夏の午後の日差しは甦ったデリックを祝福するかのように輝き、草いきれにつむじ風が巻き起こって虫たちが右往左往するさままで見えるようです。
いつの間にか厩舎で働く仲間がみな集まり、柵越しに私とデリックを見ていることに気づきました。 みな微笑んでいました。
最後に馬場をひと回りしてデリックから下りると、バートさんが迎えにきてくれました。
「いやあ、驚いたね。 いったいどんな魔法を使ったんだい、ティナ? 実際、あんたも知ってのことと思うが、われわれがあらゆる手を尽くしてもどうにもならなかった馬なんだ。 あんたのお陰でまた輝ける日がとり戻せそうだ。 しかし不思議だ」
そう言うとバートさんは私の胸を一瞥し、こうも言いました。
「おほん。 その、キミは、言うなればオトコを奮い立たせる素養があるのかもしれないな。 きっとアルサバはあなたほどのご婦人を乗せたことがなく面食らったんだろう。 まあ、いずれにしても彼を甦らせたのはあんただ」
バートさんは快活に笑いながらデリックの引き綱をとり、もう片方の手で私の肩に手をまわすと言いました。
「わかった、ティナ。 今からキミをこの馬の専属トレーナーに認定しよう。 アルサバに毎日乗ってほしいんだ。 だんだんと馴れてきたら、ウッドチップのコースから坂道へと乗りだしてくれてもいい。 こうなった以上、馬主さんには最上の状態で見てもらいたいんだ。 三週後にはイングランドに戻ってくる。 きっと大喜びさ。 さ、とりあえず今日のところは鞍を外してやってくれ。 お疲れさん」
ティナ・スモール物語(19) / ティナ・スモール物語(21)
