2010.02.06 (Sat)
生まれつき膣のない女性がオーラルで妊娠、出産?

―新華網―
このところブロゴスフィアをさまよう奇妙な物語、生まれつき膣のない女性が子供を産んだというあり得ない話はめぐり巡って中国紙でも取り上げられ、こちらではかなり真剣に報じられているようです。
石女が子供を産んだという事件は、アフリカの南に位置するレソト王国で1988年に起こったといわれています。生んだのは15歳の少女。少女は出産間際の徴候をしめして病院に連れられてきました。しかしながら少女を診た医師は彼女に膣がなかったことからひどく困惑します。
英国の雑誌「Journal of Obstetrics and Gynaecology」によると「外陰部を検査したところ、そこに膣とよべるものは見あたらず、浅い窪みがあるだけでした」そう語った医師は、帝王切開にて赤ちゃんをとりあげたということです。また赤ちゃん自体は健康そのものだったそうです。
少女の先天性欠損、Mullerian agenesisともマイヤー・ロキタンスキー・キュスター・ハウザー症候群とも呼ばれる膣のない状況は医師をおどろかせませんでした。おどろかせたのは彼女の妊娠です。少女自身でさえ、まさか自分が妊娠するなどとは思ってもみなかったにちがいありません。
病院の記録では、彼女は「ナイフで腹部に刺傷を負ってから」278日後に出産したとあります。「ナイフで腹部に刺傷を負ってから」というのはどういうことなのでしょう。医師らは、少女が妊娠するにいたった経緯を知るため、関係者の証言を集めました。それによると、少女は新しい彼氏にオーラルをしている場面を元彼に見つかり、逆上した元彼が彼女を刺したということでした。
当時、病院で手当をうけた少女は腹部に刺傷が2つ。ひとつは胃から腹腔まで通じるものでしたが、胃は空で内容物がなく、したがって胃酸もほとんどなかったといいます。手当にあたった医師は、塩水で洗浄後、胃の傷も縫い合わせたと報告していました。
つまりは少女の妊娠に対するいちばんもっともらしい説明は、少女が呑み込んだ精子が、傷ついた消化管を通して生殖器官へとたどり着いたというものなのです。
ロスにある南カリフォルニア大学繁殖力プログラム(University of Southern California Fertility Program)の主任、リチャード・パールソン教授は、「信じがたいほどの偶然の一致の重なりが引き起こしたこと」と事件の可能性を述べます。
パールソンは、酸に弱い精子が保護流体に包まれて酸の少ない胃を通過、腹腔にたどり着くまでの長距離を延々と泳ぎ切ったことに対する説明を「精子とは意外に丈夫なものなのです」と説きました。また腹壁に残った精子は何日もそこで生き続ける可能性があることをも指摘しています。
生き残った精子が卵子と出会うことに関しては、1980年代に不妊治療として用いられたDIPI(腹腔内人工授精)によって説明されます。腹腔に精子を注射器で注入、注入された精子が卵子にとりこまれるという偶然の一致を期待して行われたものですが、受胎率はよくありませんでした。
少女の先天性欠損はよく知られた病気です。しかしながら15歳という年齢、通常ならば幾度も訪れた筈の月経による出血が排出されないことから、体を折り曲げるほどの苦痛があったと思われます。
リポートによると、少女が妊娠する前に月経にいたったのは1度もしくは2度程度で、そうでなければ妊娠の可能性も少なかっただろうとしています。
2010.02.06 (Sat)
アメリカ初の合法男性売春夫に対し女性リポーターが潜入取材―ネバダ州

―揚子晩報―
米ネバダ州初となる男性売春夫をニューヨークポスト紙の女性名物リポーター、マンディ・スタッドミラー(34歳)が突撃取材を敢行。その一部始終が取り上げられています。
この国で初めての合法売春夫だっていうけど、いったい誰が彼の客になるっていうのかしら。
やけっぱちのオールドミス? 寂しい離婚女性? それともデスクにおとり任務を命じられたニューヨークポスト紙のリポーター?
答えは、きっと全て。
今月、ネバダ州初の男性売春夫となったマーカス、25歳の元海兵隊員と一戦を交えてきました。
ベガスへの夜通しのフライト、そして2時間半のドライブ。ようやく彼のいる宿にたどり着いた私の体は汗まみれ、臭ってもいたし、「愛は翼にのって(The Wind Beneath My Wings)」が好きだという彼を目の前にしたいという気持ちは半分失せていたことは確か。
それでも午後3時には、彼がいるという「シェイディ・レディ・ランチ」になんとかたどり着いたでしょうか。
値段は40分で200ドル、1時間で300ドル。私は500ドル前金で払って2時間、彼を予約。午後の日差しが埃を映し出すのがなにげに切なく、壁にはコンドーム使用の注意書き。マーカスはそんな宿で私を出迎えてくれましたっけ。
青いサテンのシャツとパンツ、サングラスを着けたマーカス、本名パトリックは、どーでもいい大学を中退し、これまでにプライベートで付き合った女性は6人、23のときに童貞を失ったそう。そして明かしてくれたのは私が彼にとっては2人目の客だったということ。
マーカスはベッドルームで向かい合わせに座っていた私の膝に身を乗り出してキスをすると、「さあ、服を脱いでシャワーを浴びよう」と宣います。お互い素っ裸でシャワーを浴びながら、マーカスは二流の産婦人科医のように私の体を念入りに調べ、ひとり頷いています。
私はここに来た理由を、これまで男性との出会いがなく、ポルノをたくさん見て学んだ、あなたが私のためにショーを演じてくれれるのを楽しみたいと話しました。
アラバマ州パットン出身のマーカスは、この世界にはいった理由として、彼がまだ幼い頃に両親の離婚を経験し、母親の愛情も薄かったためと答えました。つけ加えるならば、彼は彼自身を、性別による偏見を覆したことで「公民権運動の母」と呼ばれローザ・パークスに自分をなぞらえ、パフォーマーという意味でレディ・ガガに自分をなぞらえ、アーチストという意味で自分をゴッホになぞらえてもいたりします。
この仕事に就く前、ロスに住んでいたマーカスはアダルトムービーにも出演していました。でもカット2つを撮り終えて後、内容があまりに女性を蔑視するものだったため辞めたといいます。そして「シェイディ・レディ・ランチ」で働く前の数ヶ月、彼はホームレスでした。
さてここであなたの心に浮かんだ質問について答えましょう。
私は彼と寝ませんでした。喩えるならばまるで、後味の悪さばかりを感じた2度目のデートのよう。そして前金の500ドル。「あなたの体は美しい」と言って私の背中にキスしたマーカスは、彼の言う「秘密の箱」には、女性にオーガズムを得やすくさせるという潤滑油が入ってなかったのも、彼にとってラッキーだったのかもしれません。
マーカスはSTD(性感染症)の類はこれまで罹ったことはなく、妊娠させるという心配もいらないと言い、繰り返し私に能力を誇示すると、ジーン・シモンズのように長い舌をさっと見せることを繰り返します。彼に対し少しばかりうんざりしてきた私に、「僕は売春夫じゃあないんだ。僕はサロゲイトラバー(恋人の代わり)なんだ」とマーカスは繰り返し述べます。
BGMにメリル・ベインブリッジの「When I Kiss Your Mouth」が掛かるなか、外からはクジャクの鳴き声が聞こえ、宿のロビーからは女の売春婦たちの嬌声が聞こえてきます。「マッサージはしてくれないの?」と私は訊ねました。
最近剃ったばかりというよく鍛えられた体に、漢字で「捜す(注 : 毀すの間違い)」ということを意味するタトゥー。5フィート9インチ(約175センチ)の下半身には、うーん、見事なまでの巨根。

私は再び質問をぶつけました。バイアグラは使ってないの?
マーカスは「バイアグラもエンザイトも使ってない。お客さんと外でのデートもできない。演技はできない性質なんだ」と述べました。また「どうして童貞を喪うまでにそんなに時間がかかったの」という私の質問には「誰からも求められなかったから」と彼は答えました。「あんた絶対ヘンよ」呆れて首を振る私にマーカスは弁明しました。「あらかじめ決まっていたんだと思うよ」
マーカスは「初めて」を経験するに備えて「カーマスートラ」からセックスの技法を学んだと説きます。そして彼が女性に対し、よい恋人であろうとする努力は、母親との関係のせいとします。
「僕はみんなのことを癒してきたんだ」。マーカスは自分が奏でる愛の行為への絶対的な自信を口にします。最初のお客さんは45歳。彼に言わせるとその女性はそれこそ何かに憑かれたように、彼に熱中したそうです。
2時間のセッションの後に、私を部屋からエスコートしながらマーカスは訊きたいようでした。
「満足してもらえた?」―ええ、もちろん。
宿のマダムの旦那さんといっしょに車まで送りに来たマーカスは、私にたくさんのことを教えてくれました。
ジゴロが決してしてはいけないことについて。そして女にとっては交友ほどセックスが大事ではではないということについて。
女性は売春婦にはなり得ても、男にはできないということについて。
よっし、マーカス、この先何があったとして切り抜けて見せて。
2010.02.06 (Sat)
スキーマスクを被って母親から金を奪おうとした21歳の男が、母親に銃で股間を撃たれる
―Milwaukee Journal Sentinel―スキーマスクを被って母親から金を奪おうとした21歳の男が、母親に銃で股間を撃たれるという事件が米ウィスコンシン州のミルウォーキーで起こりました。
警察によると事件は木曜日の午後9時頃におこったもので、親子の名前など詳細は明かされていませんが、母親(37歳)が買いものから帰宅してたところに、家の裏手のほうにいたスキーマスクを被った男が襲いかかろうとしたため、男に対し母親が発砲。腰に挿していた357口径のリボルバーを抜いて数発撃ち、うち2発が股間などに命中したということです。
男は重傷を負いましたが生命には別状なく、また母親は駆けつけた警官にその場で降伏しました。撃った時点で母親が息子だと認識できたかどうかは元記事からは不明です。
また男の供述では、強盗の振りをして母親をおどかそうとしただけだということですが、捜査官はこれには疑いをもっているといいます。
男は過去に武器やドラッグ関連での検挙歴があるほか、今回母親が使用した銃にはシリアルナンバーの消された跡がありました。現在、母親はミルウォーキー郡拘置所に収監されています。
2010.02.06 (Sat)
65,000年という歴史を奏でた部族の最後の生き残りが亡くなる―インド

―Mail Online―
65,000年という歴史を奏でた部族の最後の生き残りが亡くなりました。
亡くなったのは、インドはアンダマン諸島に生まれたBoa Srというおよそ85歳の女性で、世界でも最も初期の言語のひとつとされるボ語を操ることのできた唯一の人間でした。
部族の名、ボー族から名付けられたボ語は、大アンダマン語派(Great Andamanese)に属する10の言語のうちのひとつで、この大アンダマン語派の言語を使用する部族は、70,000年前の新石器時代にアフリカからアンダマン諸島に移ったと考えられています。
Boa Srが生まれたのは、北アンダマン島のジャングルでした。伝統文化のなかで育った彼女は、野生のジャガイモを収穫し、野生のブタや亀、魚などといった獲物をとる方法を教わりました。
1970年、インド政府はアンダマン諸島に住む部族をポートブレアに近い小さな島に集めました。政府は彼らに対し、ブリキ屋根のついたコンクリート製の住処を用意しました。また食物は配給、一ヶ月に500ルピー(約960円)の金銭的な補助を与えました。
「彼女はいつも自分の生まれた土地に帰りたがっていたわ」。ヒンズー語の方言と大アンダマン語10種の混成でなんとかBoaと会話のできた言語学者、アンビタ・アビ博士は語ります。「彼らを蝕んでいったのはアルコールの問題も大きかった。アルコールは彼らをひとり、またひとりと殺していったのよ」
子供のいなかったBoaは、夫が数年前に死亡、また近年視力も失い、彼女の話すボ語は誰にもわからず、孤独でした。唯一彼女の意をくみ取れたアビ博士は、長い時間をジャングルで彼女とともに過ごしたといいます。
「ユーモアのセンスもあったし、彼女ののどを思いっきり震わせる笑い声には伝染性があったわ」
ボー族の酋長は2005年に死亡しました。そしてその後の5年でもともと数少なかった部族のメンバーが相次いで亡くなりました。
かつて諸島に住み、アンダマン語派に属する10の言語を操る部族の人数は5,000人にも達していましたが、今日その数はわずかに52名を数えるに過ぎません。生き残っている人数で多いところは、センチネルという部族です。
彼らは2004年の津波の後に、インドのヘリに向かって矢を射るところを写真にとられ有名になりましたが、原則的には部外者が部族民と接触することは禁止されています。

アビ博士は、ボー族と比較してセンチネル族が比較的外部からの影響をうけず、なんとかやってきたことに対し、Boaがたびたび妬んでいたことをあきらかにしています。
「彼女の死は我々に対する警告よ。アンダマン諸島の他の原住民に同じようなことが起きないようにってね」





















